クリスチャン・ツィメルマン ピアノリサイタル 2006年公演 in サントリーホール ②
一体どれだけ言葉を尽くしたらあの素晴らしさを伝えられるのか、甚だ心もとないのだけれど。絶対的な芸術を言葉に変換する空しさと、自分の文才の限界を噛み締めながら書いたお髭氏の「葬送ソナタ」レビュー。
・ショパン ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調op.35「葬送」
かのお髭氏が「葬送ソナタ」をやると聞いて、狂喜乱舞した人は少なくないと思う。もちろん私も泡食ってチケットを押さえたクチなのだが、アルゲリッチとポリーニの「葬送ソナタ」を交互に聴きながら、「ここはどう弾くんだろう?」などとあれこれ思いをめぐらせて、ワクワクしながら待っていた。
不思議と、良くないんじゃないかという不安は無かった。アルゲリッチもポリーニも超々一流の演奏家だし、彼らの演奏をスタンダードにしちゃったら多くの演奏は見劣りしてしまう筈なのだが、お髭氏に関してはそんな心配は全くしていなかった。なんでしょうね、この「絶対良いに違いない」という、根拠の無い確信は。
そんな過大ともいえる期待は、裏切られることは無かった。一瞬たりとも。
「期待通りの名演」どころの話ではなかった。私の予想など遥かの凌駕した、奇跡的ともいうべき世紀の名演だったのである。もしかしたら、今後、これ以上の「葬送ソナタ」を聴くことは不可能かもしれないとすら思う。
完膚なまでに打ちのめされ、あまつさえ、木っ端微塵に粉砕された気分である。もちろん感動はしたのだけれど、あまりにも衝撃が大きくて、むしろ凹まされてしまった感がある。至高の芸術を前にして、どうしようもなく無力感を感じてしまったというべきか。私はキリスト教徒ではないけれど、壮麗なゴシック聖堂の中で一人佇んだ時に、圧倒されて思わず膝を折りたくるなるような感覚に近いかもしれない。
第一楽章は恐ろしく速いテンポで始まった。
ポリーニのような(もしくは常のツィメルマンのような)、構築的で理性的なアプローチを想像していたのだが、全然違った。こんな、何かに突き動かされているかのようなツィメルマンの姿(や演奏)を一体誰が想像し得ただろうか。
ツィメルマンといえば、感性を理性によって絶対的に制御する「理知の人」というイメージだったけれど、一楽章も二楽章も、臨界点ギリギリという感じの鬼気迫る風情だった。それでいて、そのピアニズムは破綻というものを全く感じさせず、まさに完璧の一言。凄まじくも信じ難い演奏だった。
しかし、さらに信じられなかったのは、第三楽章の「葬送行進曲」である。
冒頭の音からして驚愕させられた。とにかく沈鬱としか言い様の無い、まさに弔いの鐘そのものの音が紡ぎ出される。ピアノは間違い無く、お髭氏仕様の「音色“きらんきらん”スタンウェイ」であるというのに…。
陰鬱。荘厳。峻厳。一体どんな単語であの演奏を形容したら良いのだろうか。
終盤、最初の主題の再現部で、本来フォルテで弾くべき旋律をピアノで弾いていた箇所があった。一瞬ドキっとし、そして涙が溢れそうになった。崇高で、神々しい、この世のものとは思えない響き…。ああ、この人は、なんという音を出すのだろうか。あまりにも美しく、優しく、そしてあまりにも儚くて哀しい。
最終楽章。うねるような疾走感で終曲に向かう。そして、緊張に満ちた空間を切り裂くかのように、最後の和音が敢然とホール中に響き渡った。
…しばし呆然であった。
アンコールは無し。でも、あんな演奏の後には、何も必要無い。
この日のお髭氏の演奏に、そしてお髭氏と同時代に生きることができるということに、ただひたすら感謝するのみ。
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コメント
青猫さん、こんばんわ。
楽しみにしていた「葬送ソナタ」の記事読ませて頂きました!すごい、というか羨ましい!私も青猫さんの半分でも表現力があれば・・・。そして「あんな演奏の後には、何も必要無い。」という一言が全てを語ってもいますね。京都は違いましたが、西宮ではショパン・プロだったので私も「葬送ソナタ」を聴きました。青猫さんの記事を読みながら彼の音楽を思い出していました。自分のブログでは茶化して書いてしまったのですが、あの曲はやっぱり今思い返しても胸に迫るものがありました。ツィメさん、全く周りが見えなくなっているような、内へ内へと向かって行く様に見えました。故国ポーランドに涙するショパンがのり移ったのかと・・・。私が詩人であったなら詩でもって表現したかったですわ。あぁ、本当にもっと落ち着いた環境の中で聴きたかったですぅ(涙)。
投稿: petit viola | 2006年6月 6日 (火) 23:31
はじめまして。私もこの演奏会行きました。5/20の演奏会の後、どうしてももう一度聞かなければと思い、行けなくなった方からチケットを譲って頂きまして、聞くことが出来ました。本当にとても感動的な演奏会でしたね。それにしても、私も偶然同じテンプレートでココログをアップしているんです。またおじゃまします。(トラックバックしても良いですか?)
投稿: Yoshimi | 2006年6月 7日 (水) 20:56
petit violaさん
お髭氏の「葬送」は、本当に衝撃的でした。文字通り、筆舌に尽くし難い演奏でした。当分、他の「葬送」はもちろん、ピアノ自体聴きたくないと思ってしまったほどです。と言っても、最後の所沢には行きますが(^^;)
>ツィメさん、全く周りが見えなくなっているような、内へ内へと向かって行く様に見えました。故国ポーランドに涙するショパンがのり移ったのかと・・・。
本当に意外なほどの熱演というか、ちょっと壮絶な雰囲気が漂っていましたね。別プロのメイン曲のバツェヴィチのソナタは、非常に楽しそうに弾いてたように見えたのですが、この「葬送」に関しては、お髭氏の曲に対する姿勢(思い?)が全然違ったように思います。
ただでさえ真面目な方が、超シリアスモードに入ってしまうと、なんだかちょっと恐いくらいになってしまいますね(^^;)。
Yoshimiさん
はじめまして。拙ブログにおいでいただき、ありがとうございます。Yoshimiさんはサントリーに2回いらしたのですね。同じサントリーでも、プログラムごとにお髭氏の雰囲気も違ったりしたんでしょうか。
Aプロもそれはそれは素晴らしかったですが(個人的には「悲愴」とバツェヴィチのソナタが良かったです)、Bプロも本当に心動かされる演奏会でした。あの「葬送行進曲」は思い出すだけで泣きたい気分になります(TT)。
あ、TBはどうぞお気軽にお願いいたします(^^)。
またどうぞ遊びにいらして下さい。
投稿: 青猫 | 2006年6月 7日 (水) 22:32
本日みなとみらいのコンサートに行って参りました。
お髭氏の生演奏は初めてなのですが、すごかったですねー!ポリーニのように、CD購入者特典、演奏後サインサービスがあるかと期待しましたがありませんでした..。でもアンコールでガーシュィンが聴けたので
満足です。
投稿: なじゃ | 2006年6月11日 (日) 00:26
なじゃさん、はじめまして。ようこそいらっしゃいました。
みなとみらいは、バツェヴィチのプログラムですね。こちらのプログラムもとても良かったですよね。バツェヴィチのピアノソナタはいわゆる現代音楽ですが、大変面白く聴くことができました。お髭氏も、相当ゴンゴン弾いてて「おお、すごいすごい」と感心してしまいました。なんであんなにフォルテが鳴るんでしょう(笑)。
ポリーニはCD購入者特典のサイン会があるんですね。そういう場合はロビーで、なんでしょうか。うーん、なかなか人がはけなさそう(^^;)。
投稿: 青猫 | 2006年6月11日 (日) 23:16