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2006年11月 3日 (金)

Krystian Zimerman speaks #3

引き続き、インタビュー部分。

近頃では、自分のピアノを持ち運ぶことは珍しいことです。あなたにとって、なぜそのことが重要なのですか?

私がピアノを持ち運ぶのは、全てが同じに聞こえるのを避けるためです。作曲家はそれぞれ自分のピアノを用いて作曲をしていました。時として、私は楽譜を見て問いかけます。「どうして彼はここにスタッカートを書き込んだんだろう?これはどうしてフォルテなんだろう?どうもしっくりこないなぁ」と。そして徐々に、ツアーで楽器を選び、それを弾いてみて「なんてことだ。この音は正しい。こういうピアノで弾けば、この音は完全に正しいんだ」などと思うのです。

幸運にも、私は学生の頃、ピアノ製作の教育を受けました。私は、解釈というのは、作曲家たちが自身の自宅で使っていた楽器を弾いた途端、決定的なまでに劇的な差異を生み出すと実感しました。

私は最近、現代の作曲家のピアノ協奏曲を演奏する際に、この問題に直面しました。彼は私のために一部分を歌ってくれ、このように聞こえるようにして欲しいと言いました。私はスコアを見て「それはあなたが書いたのと違いますよ」と言いましたが、彼は「いやいやいや、こうなんだよ」と言うのです。私は家で彼が言ったことを思い出しながら練習し、どうもよく分からない、彼は何か別のことを意味して言ったに違いないと思ったのです。

それから私は彼の家に行って言いました。「私はあなたがここで言っていたことがよく理解できないんです。この箇所、あなたがこの「ウワっとした効果」について言っていたところです」。彼は「弾いてみて」と言いました。私は彼のピアノを弾いたところ、彼のピアノはその「ウワっ」を鳴らし出したのです。私はこれだ、と思いました。そして彼のピアノもスタインウェイなんですね(ツィメルマンのピアノはスタインウェイである)。ある特定のスタインウェイには特定の音響効果があるんです。私も今では彼の曲を理解しています。

そして、私の自分の楽器に対する考え方というのは、快適さや技術的な完璧さといったところとはかけ離れたところにあるのです。そういったものは全く求めていません。

もしベートーヴェンの悲愴の第2楽章に理想的なピアノを持っていたとしたら、それを持参して皆さんに聞いてもらいたいと思うことでしょう。そのためだったら、どんなにコストがかかっても構いません。

自分のピアノを持ち運ぶと、色々な種類のトラブルが起きたりしませんか?

このインタビューでネガティヴなことを言いたいわけではないのですが、この5年の政治的な展開のせいで、私は国境で2台のピアノを失いました。というのは、大きな黒いケースで、しかもそれが様々な種類の化学物質の臭いをプンプンさせてるとなると、人はそれに突撃するというわけなんです。1台のピアノは完全に破壊され、もう1台は鍵盤をむしり取られました。4月に日本に行った際には、ここJFK空港で、別の鍵盤部分を失いました。だから、本当に、本当に困難さが伴ってきているのです。

だから、その代わりに、あなたはヨーロッパで自分のピアノから中身を取り出して輸送し、アメリカでピアノ本体に詰めるんですね?

私は楽器のパーツをヨーロッパにいくつか持ってまして、飛行機で運んでここで組み立てるんです。それから、私が何年もよく知ってて、馴染みのあるピアノ本体にそれをはめ込むんです。

幾分かは、やりたいことのうちの本質部分を持ってくるというわけです。それは、ヨーロッパの最後のコンサートからアメリカの最初のコンサートまで、2週間必要になるということでもあります。

金銭に換算したら、毎年莫大な費用がかかっているでしょう。もちろん、金銭には代えられません。私は本当にニューヨークを愛していますから。だから、ここで何日か休暇を過ごせて嬉しいです。

だけど、このことは大西洋を越えてピアノを運ぶより費用がかかっているというのが、今日の現実です。

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Pianist: Krystian Zimerman」カテゴリの記事

コメント

青猫様

はじめまして、クレオを申します。いつも青猫さんのお髭氏関連の翻訳を楽しみにしておる者です。今回も長い記事の翻訳、お疲れ様でした。毎度、有難うございます!一つ質問させて下さい。一番最後の「この事は大西洋を超えてピアノを運ぶよりも費用がかかってる」とありますが、すみません、この「このこと」って何ですかね??すごい、馬鹿げた質問で申し訳ないのですが、教えて頂けないでしょうか?宜しく御願い致します。

投稿: クレオ | 2006年11月 4日 (土) 12:02

クレオ様、ようこそいらっしゃいませ。ご訪問ありがとうございます(^^)。

「このこと」というのは、ピアノの部品をヨーロッパから空輸してそれをNYで組み立ててピアノにはめ込んでっていう一連のことかな、と思ったんですけど。もしかして誤訳してますか?>加来さん(すみません、名指しで(^^;))

私も最初、ピアノ丸ごと運ぶよりも高くつくのか???って思ったんですけど、そういえば、来日した時は鍵盤部分を3つ空輸したって言ってましたよね。鍵盤といってもハンマーとかダンパーとかを含めたアクション全体となると、1つならまだしも3つとなるとかなりかさばるし、そんなに簡単なことではないような気がします。
それに組立て+調整に時間がかかるし、その分調律師さんにも長時間働いてもらわないとならないでしょうから、そうするとコスト高になっちゃうのかなぁ、などと思ったのです。加えて、NY、何をするのもお金がかかりそうですし(笑)。
この辺、全部推測ですけど(そもそも誤読してたら、全然意味の無い推測です(^^;))。

投稿: 青猫 | 2006年11月 4日 (土) 21:55

青猫様
ご説明、どうも有難うございました!!な~るほど・・と納得です。お陰様ですっきり致しました。どうも有難うございました!m(_ _)m これからも青猫さんのツィメルマン記事の翻訳、期待しております&楽しみにこれからも拝見させて頂きたいと思います!!大分前に青猫さんのこのようなファンにとっては素晴らしいページがあることを知ってそれ以来、ずっと楽しく拝見させてもらっていて、今回、初めてですが、メールをしてみてよかったです。お髭氏、今度は来年の11月にクレーメルとですね。楽しみですね♪それでは、段々と寒くなってきましたがお体ご自愛下さい☆ 有難うございました。

投稿: クレオ | 2006年11月 4日 (土) 22:50

クレオさん
お役に立ててるのか、微妙な気分ですが(^_^;)。翻訳は、道楽8割勉強2割な素人訳ですので、その辺はご了承いただけると嬉しいな~、なんて。
ところで、先日、カーネギーホールのリサイタル(クレーメルとのブラームスプロ)が終わったところなので、英語のレビューなんかも出てきてるんですよね。なかなかそこまで手が回りませんが…。
また是非コメントしにいらして下さいね。Z氏ファンの方も結構いらっしゃってますし♪
それでは。

投稿: 青猫 | 2006年11月 5日 (日) 22:08

青猫さん、クレオさん、こんばんは。

青猫さんのご指名を受けて改めて読んでみました。青猫さんがすぐ上でお書きになったように、「このこと」というのは、「ピアノの部品をヨーロッパから空輸してそれをNYで組み立ててピアノにはめ込んでっていう一連のこと」だと思います。

前に英語の記事を読んだときにはあまり考えずに読んでしまったせいか気にとめませんでした。しかし、クレオさん、青猫さんのご指摘のように、ピアノの一部分を空輸して現地にあるピアノに組み込むことのほうが、9フィート(480Kg)のコンサートグランドを丸ごと空輸するよりも費用がかかるなんて、不思議な気もします。

青猫さん、「翻訳は、道楽8割勉強2割な素人訳」とありますが、なかなかすごいですね。私は、翻訳を仕事にされているのかと思っていました。たしか、10/29 ごろに 「英文和訳中、っていうか、日本語作文中。」 というようなことを読んだように覚えています。それで、「完訳→アップしました。」 というのが 11/03 でしたっけ。原文は英語の単語数で 1,575 ありました。ドキュメントの分野にもよるのでしょうが、アメリカでは英語から日本語への翻訳は1英単語あたり10~25セントが相場なので、まぁ20セントで計算して、青猫さんは 315米ドル、日本円にして4万円弱のサーヴィスを英語めぐりの読者の方がたに提供してくださったわけですね。(10~25セントは、翻訳家が受け取るレートです。これにエージェントが自分のマージンを上乗するので顧客は最終的に1単語あたり20~50セント払うことになるんでしょうね)。というわけで、英語めぐりの愛読者の方たちは足を青猫さんの住んでいる方角に向けて寝られませんね。

翻訳、というか、日本語の作文、ご苦労様でした。

加来永茂
04:42 EST
11/08/2006

投稿: 加来永茂 | 2006年11月 8日 (水) 18:42

加来永茂さん、こんばんは。

ご確認、ありがとうございました。私が読み違えてたわけではないようで、ホッとしました。

将来的には分かりませんが、現時点では仕事で英語はそんなに必要無いので、翻訳は本当に趣味というか道楽なんですよ。
英文記事の場合、読み流すだけじゃなくて、日本語にした方がきちんと頭に入るということもありますが、ああでもない、こうでもないと日本語の単語を吟味する作業が割と好きなんです。
とはいえ、もともとの英文のニュアンスを壊さず、なおかつ自然で読みやすい日本語の文章を作り上げるのは、至難のわざです(^^;)。最終的には、日本語の作文能力が問われるような気がしています。

あ、USの翻訳ビジネス事情、全然知らない世界ですので、面白く読みました。なるほど、それくらいの報酬単価なんですか。

とりあえず、くれぐれもZimerman氏の喋った内容を捻じ曲げたりすることの無いようにしたいと思います。。。

投稿: 青猫 | 2006年11月 9日 (木) 22:27

青猫様
はじめまして。いつもZimerman氏の情報を翻訳していただきありがとうございます。
私はお恥ずかしいことにZimerman氏のことをまったく知りませんでした。去る10月1日何気なく朝、新聞の番組欄NHK教育テレビの芸術劇場でモーツアルトのピアノそしてベートーベンの「悲愴」と書いてあったので、もともとベートーベンが好きな私は(とは言ってもまったくの素人ですが・・)演奏家のことはそんなに気にも留めず、聞いてみたいと思いそれこそ本当に何気なくテレビのスイッチをいれた途端!!金縛りに会いました。こんなこと初めてです。なんとモーツアルトの音色の綺麗なこと!!なんて凄い綺麗なまるで真珠を転がすといいましょうか、もうもうテレビに釘付けになってしまいました。そしてベートーベンが始まったのですが第一楽章はピアノが泣いているようにに聞こえました。ピアノを聴いて泣いたと言うのは初めてでした。いまでも何度繰り返し聞いても(録画)ベートーベンの心の苦しみがピアノから伝わり泣いてしまいます。本当にピアノが泣いています。そして第二楽章のこれまた違った音色にすっかりとりこになりそれ以来すばらしいZimerman氏のファンになってしまいました。そして青猫様のZimerman氏のコーナーなどで情報をいただき本当に嬉しく感謝しております。来年来日されるようでしたら
是非是非演奏会に行きたいと切望しております。Zimerman氏はとても頭の良い方で話すことも理路整然としていて学者のようですっかりとりこになってしまいました。そういうことがわかるのも青猫様のお陰と思っております。京都の空から感謝感謝しています。

投稿: バイエル | 2006年11月12日 (日) 15:14

バイエルさん、はじめまして。拙ブログにご訪問ありがとうございます。
バイエルさんは、芸術劇場で初めてKZ氏をご覧になったんですね。彼は最近ではTV(というか映像)に登場することは稀なようなので、本当に貴重な出会いでしたね(^^)。
モーツァルトの典雅な響きもそれはそれは素敵でしたが、あの「悲愴」は本当に素晴らしい演奏で私も感動しました。BS放映時の感想では実演と比較して文句をつけてるようですが、先日改めて録画を聴き直したらとんでもなく凄くて今更ながら驚いてしまいました…(^^;)。なんかこう、心をギューっと雑巾絞りされるような感じがあるんですよね(変な例えですが)。
KZ氏は本当に理知的で聡明な方だし、人間的にも尊敬できる方だと思っています。そして、とても面白い、ユニークな方だとも(笑)。
CDはなかなか出ないし(ソロのCDが最後に出たのって、いつの話だ…)、コンサートの数も少ないしと、ファン泣かせな方ではありますけど、こればかりはじっと良い子で待つしかありませんね。たまーに、あ~あ、なんでこんな人のファンになってしまったんだろう…と思わないではないですが、まぁ惚れた弱みで仕方がないです(^_^;)。

また遊びに来て下さいね。色々お喋りしましょう(^^)。

投稿: 青猫 | 2006年11月13日 (月) 11:45

青猫様 早速お返事いただいて恐縮です(*^_^*)
Zimerman氏を好きになって一ヶ月で青猫様の足元にも及びませんが、これからもよろしくお願いします(ペコリ)。また遊びに来させてくださいね。バイエル

投稿: バイエル | 2006年11月13日 (月) 19:17

バイエルさん、私もファン歴浅いんですよ(^^;)。30年(以上)ファンをやってらっしゃる方も結構いらっしゃって、すごいな~、羨ましいな~と思います。
まぁでも、今からでも全然遅くないですよね。
これから初めて聴くCDがいっぱいあるバイエルさんが羨ましいです(笑)。じっくり楽しまれてくださいね。

投稿: 青猫 | 2006年11月15日 (水) 02:18

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