音楽にとって本質的ではないこと
我ながら今更書くなという気もするけれど、今だから書けるのかもしれない話。
実は、1週間以上、書いては消し、書いては消しを繰り返していたのですが、最終日からいい加減経ってそろそろほとぼり(?)も冷めてきたし、アップしても良いかなと。
タイトル通り、本質的なことではありません。
なので、わざわざ書く必要は無いのでは、とも思うのですが、ことツィメルマンに関しては、適当にお茶を濁すことをしたくないっていうかできないので、とりあえず感じたことは感じたこととして正直に書いておきます。
大筋では既にコメント欄で書いたことと同じです。改めて水差してますので、よろしく。
白状しますが、私にとっての一発目、サントリーの公演から帰って、母(一応ツィメルマン好き)に一番最初に言った言葉は、「ツィメルマン、調子悪かった。っていうよりも、もしかしたらケガであまり練習できなかったのかもしれない」でした。ケガ情報のため、必要以上に神経質になっていたのは否定しませんが、もしかしたら「あまり」どころの話ではないのかもしれない、と感じたのも事実です。
みなとみらいでもそうだったんですが、とにかく目が楽譜をずーっと追っかけてるのが気になりました。もちろん、室内楽だから楽譜を置いてて当然だし、暗譜の必要はありません。ただ、「大体覚えてるけれど、念のために楽譜を置いている」という感じでは全くなくて、割と端から端まで万遍無く見ている感じなので、自然に覚えるほどにも弾きこんでないんだろうな、と思ったんですね。もちろん、中途半端に暗譜して手元ばかり見て弾くのは逆に危険なのかもしれないし、書き込みを見ていたのかもしれないんですが(もしかしたら老眼???)。
そして、ミスタッチが多かった。並のピアニストだったら許容範囲内だったかもしれませんが、何しろツィメルマンなので、ちょっとどうしちゃったの?とかなり動揺しました。
誤解の無いように書いておきますが、ミスタッチは無いにこしたことはないけれど、ミスタッチイコール悪い演奏だとは思っていません。ツィメルマンの場合は、全体の造形がしっかりしてるから、ちょっとくらいミスしたところでビクともしないし、むしろ勢い余って音を外すくらいの演奏の方が生き生きとしてて良いと思ってたくらいです。
でも、今回は、ミスのたびに気になって仕方が無い。はっきりいって、ヒヤヒヤです。加えて、全体的に曲が手の内に収まってないようにも感じられました(というよりも、手の内に入ってない故のミスタッチなんだろうと思います。特にフランク…)。
うーん、これはさらい切れてないんだろうなぁ、足引きずってるし。いやでも今回は伴奏だし、暗譜してなければこんなものなのかも?伴奏で出しゃばるタイプでは絶対にないから、何となく6割くらいに聴こえるのは妥当な線なのかもしれない…。あーでも、やっぱりホントはこういう人じゃないような気がする。やっぱり練習量の問題か…(以下エンドレス)。
そして、時々混じるのは、普段のあのリサイタルの精度にまで持っていくには、この人、一体どれだけの練習を積んでいるんだろ…という思い。逆の意味で、頭が下がりました。
とまぁ、とにかく忙しかった私の頭の中。
正直、ちょっと辛かったです。
などと書くと、なんだかものすごく酷かったように見えますが、そういうわけではありません。私が感じた、微妙な違和感というヤツを事細かに書き連ねるとこうなります、ということです。実は、さっきから別のピアニストのブラームスのVnソナタ(ライヴ音源)を聴きながら、「うわー、やっぱりツィメルマンって無茶苦茶上手かったなぁ…」などと感心してるくらいですし…。
しかも、これだけグチャグチャ考えていたのにも関わらず、実際にはしっかり感動していたあたり、私もいい加減脳味噌分裂気味なんですが、本当にビタ一文、「ガッカリ」はしなかったんですよ。これだけ書き放題書いてて嘘みたいですが。結局のところ、あの2人の生み出したものは、少々の瑕なんか問題にならない高みにあったということなんだと思います。逆に、アンサンブルとしては瑕があるくらいで良かった、という気すらします。今更ながら、メカニックと音楽性の関係というのは、本当に不思議なものです。
(…)実際、これほどの完成度というものが、はたして必要だろうか。そこまでの完全さを追求するためには多量の練習を必要としますし、そこまでしたらかえって作品が殺されてしまう可能性すらあります。自由なミュージシャンシップと、完全を求めるクラフトマンシップ、この2つのバランスが問題です。(…)
クリスティアン・ツィメルマン 『レコード芸術』2007年4月号
演奏というよりは、録音に関する発言ですが、何となく耳が痛いですね。少々反省。
それにしても、今回は良くも悪くも心穏やかでいられませんでした。ある意味、良い経験をさせてもらいましたが、次回来日時は、せめて足は完治させて来ていただきたいものです。
7月に無事会えますように。
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コメント
今晩は♪
いやぁ、青猫さんのツィメルマンさんに対する愛がヒシヒシと伝わる記事でした。
わたくし、愛が足りのうございました(反省)!
最初のコンサートが終わってからずっとグルグルされてたお気持ちなんとなくですが、分るような気がします。私は去年のリサイタルとはまた違った面を見られて、今年は今年で良かったなぁ、等とお気楽に考えていましたが(汗)。
今回を振り返ってみて、彼のアンサンブルの上手さを生で感じられたのは私にとって本当に貴重な体験でした。次のコンチェルトはどんなだろうと期待が繋がる良いコンサートであったとも思います。
完璧主義と言われる彼が、練習があまり出来なかったかも知れないこの状況で、わざわざ日本に来て日本の聴衆の前で演奏する意義があるから、キャンセルしなかったと信じたいですし。信じてどこまでも付いて行く所存です(笑)。
なんせ、満足の行く演奏が出来ないからと、以前コンチェルトの曲目を変更させた事もある人ですからねー(ショスタコービチ関連で統一されていたプログラムなのに、Pコンだけ強引にブラームスに変えちゃった・笑)。
もう何をやっても(何をって・・・)彼の絶対値はぶれないだろうから、好きにしてって感じですね(おいおい)。こんな風に言っててもまだ「惚れた弱みなんかじゃない!」と思ってるんですが、どーでしょう??長々と失礼しましたー。
投稿: petit viola | 2007年12月 6日 (木) 18:33
petit violaさん
愛、なんでしょうか。いえ、愛は一杯あるんですが、方向性合ってるのかなー、私(^_^;)。
誤解を生じる内容な気がするし、「ツィメルマン、クレーメル」で検索してたまたまこられた方にいきなりこんな記事をお見せするのもなぁ、、、なんてグズグズ悩んでいて、妙なタイミングになってしまいました。。。
アンサンブルとしては、本当に素晴らしかったと思います。あの2人でしか成し得ない世界でしたよね。ツィメルマンって伴奏者としても超一流で、いつ何時でも、ちゃんと相手に合わせられる人なんだなぁってしみじみ感心しましたし。
あと、私にとっては、クレーメルが予想外に良くて、本当に嬉しい誤算でした(誤算って…(^_^;))。楽譜に書いてある以上のものが感じられる演奏で、心の底からすごいヴァイオリニストだな、と感服しました。
ツィメルマン=完璧主義、色々な意味があるかとは思うのですが、今回、音楽的な表現(解釈)という面では、納得がいった上で演奏していたのではないかという気がしています。ブラームスもフランクも馴染みの深い曲でしょうし、相手も気心が知れているということで、音楽的にはあまり不安が無くて「OK」だったのかも、なんて思ってます。デュオですから、むしろあまりツメ過ぎない方が良いとか、ある程度の偶発性みたいなものは許容する気持ちもあったかもしれませんし。
あとは、単純に2人でやるのが楽しい、プレッシャーも少ないしってこともあったのかなぁ。
私は「惚れた弱み120%」ですが、それはそれで幸せなので、もう諦めてます。。。
投稿: 青猫 | 2007年12月 8日 (土) 14:46