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2008年11月

2008年11月30日 (日)

Oxford Collocations Dictionary for Students of English

0194312437Oxford Collocations Dictionary for Students of English
Diana Lea
Oxford Univ Pr (Sd) 2002-12-12

by G-Tools

日本人は読み書きはできるけれど、聴く話すができない。
というのは大嘘だと思います。

私なんか基本的に全部あきません。
まぁ確かに、あえて順番をつければ読解が一番得意ってことになりますが、書くのはメタメタですからね。。。
書けるようになったらもしかしたら喋る方も少しはマシになりゃせんか?と思い、今せっせと(いうほどでもないけれど)書いてます。

書く上でお世話になってるのが、英辞郎 on the Webと、英英辞典と、上のコロケーション辞典。
例文という点では英辞郎が圧倒的なので紙の和英はもはや使わず。

コロケーション辞典というのは、どの単語がどの単語とくっつき得るかということが書いてある辞典です。
単語の意味は書いてません。
見出し語が組み合わせられる単語が列挙してあり、後は例文が少々。

例えばpersonalityという見出し語を見ると、bright, bubbly, outgoing, charming, attractive, warm, strong, powerful 等々の単語が並んでるわけです。
それから動詞だったら、be, haveとある。
なので、例えば
She has a very charming personality.(彼女はとってもチャーミングな人柄です)
という英文はok、ということになります。

recordingを見ると、last, later, latest, new, recentとあるので、
His latest recording is Brahms Piano Concerto No.1 with BPO.
は大丈夫かな?
動詞はmakeを取るってことも書いてあります。
He doesn't like to make studio recordings. Even if he did, he would'nt release it.(彼はスタジオ録音が好きじゃないんですよ。仮に録音したとしても、発売しないだろうねぇ)
とかどーでしょうね。←仮定法にしてみたあたり(実現可能性低し…)、微妙に恨み節なニュアンス?


まぁそんな感じで、書きたいことをスラスラと、というわけには到底いきませんが、毎日少しずつ英作文をしていこうと思います。

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2008年11月28日 (金)

都民劇場音楽サークル 第563回定期公演 クリスチャン・ツィメルマン&チョン・ミュンフン

2008年 11月26日(水) 19時開演 東京文化会館
<出演>
クリスチャン・ツィメルマン (ピアノ)
チョン・ミョンフン (指揮)
東京フィルハーモニー交響楽団

<プログラム>
メシアン:ほほえみ
ルトスワフスキ:ピアノ協奏曲
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」


東京文化会館、2303席ですか。
5階まであります。
デカイです。
当然、ソリストは5階まであるということを前提にして弾きますわな。
特に音量面。

そして、私の座った場所というのがまたアレで、ピアノのほぼ真下だったんですね。
近いから音が大きいってだけじゃなくて、ピアノの「腹」がびんびん鳴ってるのがよく分かる場所。
私は2階席が好きなこともあって、普段はピアノの蓋の部分から広い空間に広がっていく音を聴いているのですが、今回はピアノのボディ自体(特に底の木の部分)から直に落ちてくる、えらい厚みと圧力のある音の直撃をモロにくらいましてですね。
圧倒されるを通り越して、正直死ぬかと思いましたよ。
まぁそれはそれで本望なんですけどね。
オケ的にはよく分からん席でしたし、指揮者も全然見えませんでしたが、ツィメルマンの足がよく見えたのも良かったです(結構踵浮かしてペダルふむんですねー、へーほー)。

それにしても、ルトスワフスキは聴けば聴くほど面白くなる曲で、しかも、ライヴだと楽しさが倍増です。
もちろん、ライヴで本領発揮のツィメルマンだからなんですが。
なんていうか、ツィメルマンって基本的な作りがしっかりしてるくせに、時々面白いくらいに攻め攻めで前に突っ込むんですよね。
崖際スレスレを爆走するベンツみたいな感じ?

なんか今回間近で見てて、録音が嫌いってのがよーく分かってしまいました(インタビューなんかでもその手のことはいってますが)。
近いだけに、演奏者の渾身ぶりと、放射する熱みたいなものがよく伝わってくるんですが、スタジオでここまでテンションあげるのはまず無理だろうと。
多分、アドレナリンの量が、天と地ほど違うんじゃないかと思うんですよね。
4楽章の最後なんか、立ち上がって弾いてましたからね。。。(腰を浮かせて、とかそういうレベルではなく)

で、私はといえば、そんなツィメルマンの至近で平常心でいられるわけもなく、なんとなくフワフワ、脈拍血圧上昇で、要するに完全に酔っ払い状態で聴いてました。
サントリーの時みたいな妙な緊張はなくて、本当にワクワクする、「楽しい音楽の時間」でした。
あっという間に終わってしまいましたが。。。うう。


世の皆様方は、ツィメルマンの生協奏曲だったらショパンを筆頭に、コレが聴きたい、アレが聴きたいって色々あるかと思うんですよ。
私は散々ラフマ3番って言い続けてますが、仮に1回何でも選べるとしたら、またルトスワフスキを聴きたいなぁなんて思う今日この頃です。
この曲は立派な録音がありますが、それでもやっぱりライヴでもう1回聴きたいです。

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2008年11月24日 (月)

クリスチャン・ツィメルマン ルトスワフスキのピアノ協奏曲

2008年 11月23日(日) 18時開演 サントリーホール
<出演>
クリスチャン・ツィメルマン (ピアノ)
チョン・ミョンフン (指揮)
東京フィルハーモニー交響楽団

<プログラム>
メシアン:ほほえみ
ルトスワフスキ:ピアノ協奏曲
ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」


ルトスワフスキだけ感想書きます(ほぼピアノについてのみ)。

昨日からずっと頭の中でこの曲がエンドレスリピートしてるんですが(特に4楽章……)、この曲のCDを買った時にはまさかそんな日が訪れるとは夢にも思いませなんだー。


「最初から最後までずっと緊張感を保って」という作曲家の指示のままに、楽章楽章のポーズがほぼ無くて、ほっと息をつく暇がビタ一文ありませんでした。
演奏している方はもちろんでしょうが、聴き手の集中力もかなり要求されるわけで、聴き終った時にはもうグッタリお腹いっぱい。
もちろん不愉快な感じの消耗ではなくて、ピアニストとハードな旅を一緒にしたぞ、という、ある種の達成感のある疲労感なんですが。

BBC+ルトスワフスキ本人の演奏とは全体的な印象が違ってまして、あちらが割と几帳面な印象があるのに対し(テンポをかっちりきっちり取ってる感じ)、今回の演奏からは音楽の横の流れみたいなものを強く感じました。
横方向にすごい勢いで流れていく感じで、2楽章、4楽章なんかは川の速くて激しい流れみたいなものをイメージしました。
先日の講演会で音楽における時間の流れという話をしていましたが、それもあって時間=川みたいに連想したのかも。
基本的には怒涛の熱演という感じで、ツィメルマンもまぁ本当にダンダカダンダカ弾きまくってて(微テンパリ風味)、見てて大変に面白かったんですが、一方では1楽章の冒頭や3楽章なんかでは、この人ってば音符の数が少なければ少ないほど良いんじゃないか、、、とすら思わせる妙なる響き(ショパンの3番の3楽章を聴いた時もちょっと思いましたが…)。
一音一音に込められているものの大きさに心打たれます。

何しろツィメルマンのピアノがああいう音なので、オケももうちょっと繊細というか神秘的な響きが欲しいなぁなんて思わないではなかったんですが、4楽章はドッカンバリバリと盛り上がりつつ、しっかりツィメルマンに食らいついている感じでなかなか見事なフィナーレでした。

アンコールが無くて残念でしたが(っていうか無いと、もしや本人的に演奏が不満なのか、、、とか思ってしまう…単に疲れたからイヤってだけかもしれないけれど)、まぁこればっかりは何とも推し量りがたい部分なんで何とも。


今回は初めてのツィメルマンの協奏曲ということで、相当緊張してお腹痛くなりながら(←なぜ…?)聴いてたので、次はもう少し落ち着いて聴きたいものです。

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2008年11月17日 (月)

ツィメルマン講演会(おまけ)

メモその1、その2から漏れたけど、やっぱり入れとこう、な小ネタたち。

続きを読む "ツィメルマン講演会(おまけ)"

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ツィメルマン講演会(メモその2)

もうすでに公演直前ですが、メモその2。

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ルトスワフスキの作品にはユーモアも含まれている。真剣でドラマチックな音楽だけど、繊細なユーモアが作品のあちこちに垣間見える。オケにこれを説明するのは難しいけれど…。

・音楽演奏の物理的(フィジカル)な喜び
自分にとって、音楽は単純に音的(audio的)なものではない。常に視覚的なもの、目に見える形で演奏されるものだった。アーティストがどういう風に楽器に向き合うか、どのように楽器と一体化するか、その結果としてどのような音楽が生まれるのか、そういったことが音楽に信憑性を与える。これは演技をして見せろ、という意味ではなく、真摯に楽器に取り組むということが聴衆にも伝わるということである。
この協奏曲をよく練習してスムーズに弾けるようになったら、ルトスワフスキに難しいところをそんなに簡単そうに弾かれては困る、と言われた。私(ツィメルマン)と楽器との物理的な出会いを体験したいのだ、と。

・構成
4楽章構成で、1楽章1楽章独立しているが、ルトスワフスキにはよどみなく流れていって欲しい、最初から最後まで緊張感を保って欲しいといわれた。
第1楽章
1960年代の名残が感じられる。複雑な記譜で、曲をマスターするのに時間がかかる。構造の複雑さを保ちつつ、全体をもう少し容易にするために生まれたのが「偶然性」という要素である。

ここで「偶然性」の実験。
真ん中から右側に座ってるお客さんを4グループに分けて、それぞれ「トロ」(二音節)、「マグロ」(三音節)、「てっかまき」(四音節)、「とうもろこし」(五音節)と分担を決定。
さぁ、みな同じテンポでそれぞれ頭にアクセントをつけて繰り返しましょう(トロ、トロ、トロ、トロ…と唱える隣のグループではマグロ、マグロ、マグロ…と唱えるといった風)。こちらがソリストの役割。
左側はオケの役割で、三グループに分かれて、車のブーン、ブルンブルンという音、シューという音、トトト、トトト、トトトという音に分かれてやってください。
はい、せーの(お客さん、ツィメルマンの指揮に合わせて大合唱)。
(実験終了)

ルトスワフスキの第1楽章は、アクセントをどこに置くか、シークエンスの長さ、デュナーミクの指示はあるけれど、その枠内で演奏家にある程度の自由が与えられている。これが「偶然性の音楽」。

そして、ピアノがそーっと、おずおずと入ってくる。オケに交じろうと、探るようにしていたピアノが徐々に自信を付けていく感じ。

独特の和声で、最初間違いかな?と思った部分も、試行錯誤された結果のもので、厳密で精密な仕事である。ルトスワフスキが捨てた部分をあわせるとピアノ協奏曲10曲分くらいになるのではないか。

ピアノが何度も中断し、オケに新たな偶然性の音楽が生まれるチャンスを与えていく。
第2主題が現れ、繰り返され、豊かに装飾的になっていく。
オケが爆発するような感じで終了。

第2楽章
かなり激しくドラマチックに第1楽章が終わり、とんでもないスケルツォが続く。リスクが高い楽章で、1回でも指揮者がはずすと終わり。1枚の楽譜で8種類のテンポ(拍子)が含まれ、しかも速い。大体オケは協奏曲のリハをしたがらないし、十分練習しないことが多いけれど、この辺に来ると後悔することになる。。。
ユーモアもあるけれど、辛辣なユーモア。意地悪ではないかと思う書き方をしている。拍子の分子だけじゃなくて分母も変わる。一瞬ショスタコーヴィチのように聴こえる。指揮者が苦労するところで、音が雪崩れのようでどこでテンポが変わっているのか分かりにくい。チラと指揮者を見ると、譜面に頭を突っ込むようにして、かじりついて指揮をしているところ。
カデンツァはスクリャービンの音楽言語に近いかと思う。

レチタティーボ(第3楽章?)
ピアノによる愛の告白。かなり長い、作曲の意思表示、意見表明の部分。それはやがてオケによって容赦無く寸断される。
私が最も感動する部分。ルトスワフスキの個人的な思いのつまった部分で、「善き人」だったルトスワフスキの人柄が見えてくる気がする。時代状況にも思いを馳せる必要がある。現在のヨーロッパはEUという大きな共同体だが、当時はそんな未来は予想できなかったし、ポーランドにとっても厳しく劇的な時代だった。この曲からは自由を求める叫び声が聞こえてくる。
音楽的にはショパンと共通性がある。ショパン→シマノフスキ→ルトスワフスキという流れがあり、感情の扱い方はポーランドの伝統的なものである。
(ショパンの協奏曲の第2楽章の冒頭、オケ部分、ルトスワフスキの3楽章を弾き比べ)
この部分の緊張感が似ている。
カデンツァは、時代の激性を表している。
(ここで音源再生のはずが、音が出ず)静寂もルトスワフスキの音楽の重要な要素だということがお分かりかと…。

第4楽章
アタッカで入ってくる。バロックの形式を少し取り入れているような楽章。テーマの扱い方がパッサカリア(低音にテーマがある)、シャコンヌ(和音で構成されている)を合わせたような感じ。興味深いのは、ピアノがテーマを弾くことが無いこと。常にオケがテーマを弾き、テーマを見極められないほど多彩な色彩を帯びて展開していく。テーマは凝縮されたり引き伸ばされたりしつつ、高揚が高まり、緊張感が増していき、ピアノとオケの壮大な意見表明で終了。


ここで本編が終了し、モデレーターの岡部真一郎氏より質問。

岡部:「偶然性」に関して、ルトスワフスキとジョン・ケージとの本質的な違いはどこにあると思うか。
KZ:ケージは演奏できないような作品を作っているが、ルトスワフスキはバッハ、ベートーヴェン、ブラームスに連なり、音楽史の中に位置づけられる作曲家である。ただ、私はケージを過小評価するつもりはなくて、ケージは音楽が音のみで成り立っているのではないということ、感情を時間の中に置いて組織するということ、すなわち時間の概念を教えてくれた作曲家である。現代は音が自立した時代であり、録音に関しては細部の細部まで見透かすような技術を手にしており、本来聴くべきではないものも聴けてしまう。あまりにも正確さを追求するあまり、時間の流れや、その中でどのように感情が流れているかということを見失っている。ケージは、音楽は音だけで成り立っているのではないということを見出した最初の作曲家である。「4分33秒'」という作品を東京でもアンコールで演奏したが、これを聴いている間、聴衆の頭の中では一体どれだけの音楽が生まれていることか―。

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というわけでメモ終了。

生真面目の中に情熱とユーモアも垣間見える、とても楽しい語り口だったんですが、その辺の再現は録音でもしないと無理なんで、勘弁したってください。

JAにルトスワフスキについてツィメルマンが語る講演会 その②もアップされてますので、雰囲気みたいなものを知るはこちらの方が良いかと思われます。

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2008年11月14日 (金)

ツィメルマン講演会(メモその1)

11月7日(金)に明治学院大学のアートホールで行われたツィメルマンの講演会に行って参りました。

いわゆるホールではなくて、フラットな床に椅子を並べた会場だったんですが、天井は高くて響きは結構ある感じのお部屋でした。

今回はツィメルマンはドイツ語で、通訳が付きました。
私はドイツ語は皆目分からないのですが、訳された日本語が実に見事でよどみなく、ストレスが全然無かったです。


さて、講演会の詳細(?)なんですが。
ジャパンアーツのブログにもレポ(ルトスワフスキについてツィメルマンが語る講演会)が載ってるし、なんかもう旬を過ぎたしなぁ、、、な気分も無きにしも非ずなんですが、まぁ一応、個人的なメモを残しておくということで。
当然メモを取りきれなかった部分、メモの不備もあるので、抜けや漏れがあります。
またある程度要約した部分もあり、細部の言い回し等は異なります。
あくまでも不完全なものであって、大体こんな内容、と思っていただければ幸いです(間違いがあったらご指摘ください)。
何しろメモなんで潤いが無いです。潤いを付けようとするとニュアンスを捏造してしまいそうな気がしたので、敢えて殺風景なままにしておきました。
対話形式ではなく、ずっとツィメルマンが喋るスタイルだったので、以下基本的に一人称はツィメルマンです。



◆ルトスワフスキのピアノ協奏曲の作曲の背景、きっかけについて。
まず、現代音楽とは何か?私にとっては、とりたてて現代音楽というジャンルはない。500年前に書かれようが昨日書かれようが、それは問題ではない(過去に書かれたという意味ではみな同じ)。大事なのは、作曲家の内なる動機としての感情(=emotion)で、なぜその音楽か書かれたかという点。何百年の間に音楽言語は変わるけれど、曲が書かれる理由=感情(emotion)は変わらない。作曲家が感情を聴衆と分かち合いたいと思った時に曲は生まれる。
ルトスワフスキは、自らを現代音楽家として認識していなかった。ある時、自分が「もっとピアノ曲を書いてくれたら「ルトスワフスキの夕べ」ができるのに…」といったら、とんでもないといわれた。ルトスワフスキは現代音楽フリークとして見られたくないし、他の作曲家と同じように、一人の作曲家として見てもらいたいと思っていた。例えば、一晩のコンサートの中に、バッハやプーランクと並んでルトスワフスキも入ってくるというように。


ルトスワフスキは真面目でノーブル、チャーミングでユーモアのある人だった。初めて会ったのは1974年、出会った時から素晴らしい人間性とユーモアに魅了された。
再び会ったのは数年後で、私がある程度キャリアを積んでいた時期だった。ルトスワフスキは協奏曲を書きたいと言ってくれたが、当時自分はルトスワフスキが本当に真面目で真摯な人だということを理解していなかったため、これは社交辞令だろう、実現はしないだろうと思っていた。2~3年の間、会うたびに書いているといわれたが、難しいともいわれた。知識に裏付けされた音楽が主流となり、本来音楽が何のためにあるかということがおろそかにされた1960年代を経た後、ピアノ協奏曲を作曲することは大変困難なことになっていた。
1988年、ルトスワフスキから突然電話があり、できたから来てくれといわれロンドンに向かった。スコアを見た瞬間から魅了される素晴らしい作品だったし、ルトスワフスキが約束を守ってくれたことに感動した。ホテルに楽器がなかったので、ルトスワフスキが歌ってくれた。


新しい、素晴らしい作品に初めて出会うということは滅多にないこと。多くの人の手を経てきた作品は解釈が限定されて想像力(創造力?)の働く余地が無くなる。ルトスワフスキの作品は世界初演の作品だから、解釈の余地、自由があり過ぎて、作曲家の意図からはずれてしまうのではないかと不安だった。でもルトスワフスキは「私は書いただけ。あとは君が解釈しなさい」といってくれた。
過去の作品はよく研究されていて、我々はその曲についてよく知っているけれど、それゆえに可能性が狭まっているように思う。現代作曲家の場合はまず作曲家が生きているから本人にきけるし、可能性は無限大である。ある曲についての知識をたくさん持っていても、それが本当に正しいかどうかちゃんと見極めているだろうか?といつも自問している。


ある時、あるアーティストと議論になった。そのアーティストは私がバッハを弾く時にペダルを使うのが不満だったようだ。しかし、バッハは必ずしも特定の楽器のために曲を書いていたわけではない。彼はカンタータを毎週のように書いていたが、その時手に入る楽器、編成に合わせて作曲をしていた。バッハにとっては、どの楽器のために書くかということは、必ずしも重要ではなかった。
作品にはそれぞれの楽器の特徴が反映される。例えば元々ヴァイオリンに書かれた曲をピアノ用に編曲した場合、ビブラートをかけるようなことはしない。リストはパガニーニのカンパネルラをピアノ用に編曲したが、ヴァイオリンを模倣したわけではない。
チェンバロと現代のピアノとでは機構が全く異る。チェンバロ用に書かれたものをグランドピアノで弾くということは、そこでトランスクリプションが行われ、新たな次元が拓かれるということである。グランドピアノで弾く以上、ペダルと使わないのはおかしい。


この話がルトスワフスキとどう関係するのかというと。
ある特定の楽器のために作曲する場合、作曲家は自宅の、特定の楽器(一台の楽器)によって作曲をする。ルトスワフスキにスコアをもらっても、スコアの通りに弾くとしっくりこない部分が散見された。しかし、ルトスワフスキの自宅のピアノで引いたら彼の意図通りに弾けたのである。
2楽章の冒頭について、ルトスワフスキは「ウワっという音が欲しいんだ」といったが、記譜通りに引くと上手くいかない(楽譜通りに弾くとこう、でもルトスワフスキの意図はこう、等々、2楽章の冒頭を弾いてみせる)。でも、ルトスワフスキの自宅のピアノを弾くとちゃんとそういう効果が出て、曲を理解する上で助けとなった。
作曲家は自分が聴いている音を音楽にするから、作品に取り組む場合はどの楽器で作曲されたかを考えなければいけない。



長いので以下次号。

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2008年11月 7日 (金)

講演会

明学のツィメルマン講演会に行ってきました(本人は「講演会」という認識ではないといってましたが)。

来日したてとのことですが時差ボケの気配もなく、みっちり2時間強ルトスワフシキについて語ってました(ピアノ実演付)。
相変わらずチャーミングかつ愉快な人でしたよ。

あ、チャーミングといえば(?)、後ろ髪がハネてました。ぷぷ。
夏から大分のびましたねー。
コニコさんが教えて下さった日経の記事の写真は、ありゃ夏バージョンですね、きっと。

講演会の中身についての詳細は後日書きます。

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2008年11月 4日 (火)

ツィメルマンシフト

11月になり、めでたくツィメルマン祭り突入ということで。

7日の講演会と2公演に行く予定です。
ホントはサントリー1公演だけの予定だったんですが、ある時、後先考えずに決済ボタンを押しちゃいまして(まず行ける気がしない日程だったのにも関わらず)。
…だって、最前列の席があったんですもの…。
ツィメルマン直下再び、です。
協奏曲で最前列は無いだろうという突っ込みは重々承知してますが、もーいーです、ピアノさえ聴こえれば。

予習しないとね。

B0012PYFL2ルトスワフスキ:ピアノ協奏曲
ツィマーマン(クリスティアン) ルトスワフスキ ルトスワフスキ(ヴィトルド)
ユニバーサル ミュージック クラシック 2008-03-19

by G-Tools

しかしこんな曲、暗譜でやるんですかね。。。(バーンスタインの「不安の時代」は楽譜見てましたが)

そーいや、これ、以前ラジオでアンスネスが弾いてたなー。
改めて聴いたら(聴き比べたら)少し目先が変わるかも。

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2008年11月 3日 (月)

最近色々積みがちですが……

B0011ETNXYProust
Roland Petit Koen Kessels Orchestre de l'Opéra National de Paris
Bel Air Classiques 2008-01-01

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パリ・オペラ座の「プルースト」。

B000V6BE6MThe Lord of the Rings: The Return of the King - The Complete Recordings [CD+DVD]
Howard Shore James Galway
Reprise 2007-11-20

by G-Tools
長らく密林品切れで買いそびれていたんですが、最近在庫が復活したようです。 Completeだけあって(?)、聴いたことのない旋律が山盛りなんですが、映画のサントラで4枚組って一体何事?(さすがにちょっと長くて、劇場版くらいの丈の方が冗長にならなくて良いよなぁって思ってしまう)。 いやでも、やっぱりハワード・ショアは本当偉大だと思います。

オケはLondon Philharmonic Orchestra(ロンドンフィル)。


ディヴェルティメント、セレナード、不安の時代 バーンスタイン&ウィーン・フィル、ロンドン響、クレーメル、ツィマーマン
今年購入のDVD部門第1位になるのではないかと。
対抗馬は一応ミーシャのパガ狂(アバド&ベルリンフィル)ですが、ここでKZじゃなくてミーシャとか言ったらKZファンとしてあまりにも人でなしだよなぁ。。。

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2008年11月 2日 (日)

レイフ・オヴェ・アンスネス ピアノ・リサイタル

2008年10月27日(月) 19時開演
東京オペラシティコンサートホール

<プログラム>
ヤナーチェク:霧の中で 
シューベルト:ピアノ・ソナタ第19番ハ短調 D.958

休憩

ドビュッシー:前奏曲集より
         ビーノの門 (第2集より第3曲)
         西風の見たもの (第1集より第7曲)
         ヒースの茂る荒地 (第2集より第5曲)
         とだえたセレナード (第1集より第9曲)
         オンディーヌ (第2集より第8曲)
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 作品27-2「月光」

アンコール
ドビュッシー:前奏曲集より アナカプリの丘(第1集5番)
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第13番より 第3楽章・第4楽章
スカルラッティ:ソナタK.492 ニ長調


ちょっと前ですが、アンスネスのリサイタルに行って参りました。
本当はドビュッシーがいっぱいの王子ホールに行きたかったのですが、諸般の事情によりオペラシティになりました。

カメラがいっぱい入ってましたが、いずれNHKで放送があるようですね。
さて、どの曲がカットされるんだろう……。
シューベルトのペダルワークがホントとんでもなかったので、もう一回見たいところなんですが。
細かく回数踏んでるってだけじゃなくて、深さのコントロールが凄まじいです。
あれだけ気を使ってたら、響きもそりゃー精密を極めるだろうと。
生でアンスネスくらい弾ける人がどのくらいいるか分かりませんが(あんまりいないような気がしますが)、あのぺダリングはそうそう見られるものではないような気がいたしまする(あとはもう、某ピアニスト引退のあのヒトにお出まし頂くとか……)。


アンスネスの演奏は誠実、とはよく言われることですし、私もそう思います。
目の前の音楽に対してまっすぐに向かい合っているであろうことがよく分かります。
聴いてて思うのは、まず音楽ありき、ということなんですね。
音楽の姿がまざまざと立ち上がってきて、そりゃもう気持ちよいくらい、ストレートにこちらに届いてきます。
でも、「オレがオレが」というところが無いだけに、ピアニストの主観はちょっと見えにくい。
「こんなに美しい、素晴らしい音楽なんだ、聴いて聴いて」っていうのはよく伝わってくるんですが、演奏家本人の喜怒哀楽はちょっとつかみ難いというか。。。(いや、喜と楽は分かるんですけどね)
シューベルトやベートーヴェンを聴いて、そんなことを思いました。
良い悪いの問題ではないです、念のため。

でもそうして見(聴か)せてくれる世界は本当に蕩けるように美しくて。
陶酔というか、忘我の境地というか、まさに天国的に美しいのですよ。

はー、ドビュッシー、綺麗だったなー……。
情景描写がマジカルに素晴らしくて、相当クリアーな風景を見せてくれてる感じ(明晰過ぎる、と思う方もいるでしょうが)。
ここは一つ、「沈める寺」とか聴いてみたいもんですね。
勝手なイメージですが、モン・サン・ミッシェルとかミナス・ティリスなんかがゴゴゴゴゴっと海から現れるような演奏になるんではないかと。。。


本日のメインはベートーヴェン、だったんでしょうが、私的にはドビュッシーでお腹いっぱいな一夜だったのでした。
あ、アンコールのスカルラッティも良かったので、その辺も色々聴いてみたいところです。

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[映画]レッドクリフ PartⅠ

レッドクリフ PartⅠ

ジョン・ウーのレッドクリフ=赤壁=三国志です。
今日から公開。

ケン・ワタナベやチョウ・ユンファが出るかもー、とか、結構前から楽しみにしてたんですよね(結局二人とも出てませんが)。

軽くネタばれ(というほどでもないけど)あり。








PartⅠってことはPartⅡがあるわけで、そんでもってPartⅡで赤壁後日談ってハズもなく、要するに肝心要の部分はおあづけです。。。

全編通じて戦闘ショーな雰囲気がありますが、見所は前半=長坂坡、後半=「九官八卦の陣」ですかね。
人間描写はSW並の大味ぶり(言い過ぎ?)ですが、アクションシーンはいつも通りのジョン・ウー節炸裂(大真面目にやってるだろうに、微妙にお笑いテイストを帯びるのもいつも通り……)。

いつも通りといえば、赤壁でも白いハト飛ばしてますよ、この人。


……(なぜそこまで)。


えーと、主人公は周瑜で、トニー・レオンは意外と違和感が無かったっす。
つーか、ジョン・ウー的マイブーム=トニー・レオンか?ってくらい見せ場テンコ盛りでした。

周瑜と諸葛亮の関係が爽やかな男の友情物語みたくなってるのが、これもいかにもジョン・ウー的ではありますが、微妙に気持ち悪いところでもあります。

とりあえず、次作の水上戦@火薬&爆薬大盤振る舞い(?)を楽しみにしたいと思います。

続きを読む "[映画]レッドクリフ PartⅠ"

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