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2008年11月17日 (月)

ツィメルマン講演会(メモその2)

もうすでに公演直前ですが、メモその2。

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ルトスワフスキの作品にはユーモアも含まれている。真剣でドラマチックな音楽だけど、繊細なユーモアが作品のあちこちに垣間見える。オケにこれを説明するのは難しいけれど…。

・音楽演奏の物理的(フィジカル)な喜び
自分にとって、音楽は単純に音的(audio的)なものではない。常に視覚的なもの、目に見える形で演奏されるものだった。アーティストがどういう風に楽器に向き合うか、どのように楽器と一体化するか、その結果としてどのような音楽が生まれるのか、そういったことが音楽に信憑性を与える。これは演技をして見せろ、という意味ではなく、真摯に楽器に取り組むということが聴衆にも伝わるということである。
この協奏曲をよく練習してスムーズに弾けるようになったら、ルトスワフスキに難しいところをそんなに簡単そうに弾かれては困る、と言われた。私(ツィメルマン)と楽器との物理的な出会いを体験したいのだ、と。

・構成
4楽章構成で、1楽章1楽章独立しているが、ルトスワフスキにはよどみなく流れていって欲しい、最初から最後まで緊張感を保って欲しいといわれた。
第1楽章
1960年代の名残が感じられる。複雑な記譜で、曲をマスターするのに時間がかかる。構造の複雑さを保ちつつ、全体をもう少し容易にするために生まれたのが「偶然性」という要素である。

ここで「偶然性」の実験。
真ん中から右側に座ってるお客さんを4グループに分けて、それぞれ「トロ」(二音節)、「マグロ」(三音節)、「てっかまき」(四音節)、「とうもろこし」(五音節)と分担を決定。
さぁ、みな同じテンポでそれぞれ頭にアクセントをつけて繰り返しましょう(トロ、トロ、トロ、トロ…と唱える隣のグループではマグロ、マグロ、マグロ…と唱えるといった風)。こちらがソリストの役割。
左側はオケの役割で、三グループに分かれて、車のブーン、ブルンブルンという音、シューという音、トトト、トトト、トトトという音に分かれてやってください。
はい、せーの(お客さん、ツィメルマンの指揮に合わせて大合唱)。
(実験終了)

ルトスワフスキの第1楽章は、アクセントをどこに置くか、シークエンスの長さ、デュナーミクの指示はあるけれど、その枠内で演奏家にある程度の自由が与えられている。これが「偶然性の音楽」。

そして、ピアノがそーっと、おずおずと入ってくる。オケに交じろうと、探るようにしていたピアノが徐々に自信を付けていく感じ。

独特の和声で、最初間違いかな?と思った部分も、試行錯誤された結果のもので、厳密で精密な仕事である。ルトスワフスキが捨てた部分をあわせるとピアノ協奏曲10曲分くらいになるのではないか。

ピアノが何度も中断し、オケに新たな偶然性の音楽が生まれるチャンスを与えていく。
第2主題が現れ、繰り返され、豊かに装飾的になっていく。
オケが爆発するような感じで終了。

第2楽章
かなり激しくドラマチックに第1楽章が終わり、とんでもないスケルツォが続く。リスクが高い楽章で、1回でも指揮者がはずすと終わり。1枚の楽譜で8種類のテンポ(拍子)が含まれ、しかも速い。大体オケは協奏曲のリハをしたがらないし、十分練習しないことが多いけれど、この辺に来ると後悔することになる。。。
ユーモアもあるけれど、辛辣なユーモア。意地悪ではないかと思う書き方をしている。拍子の分子だけじゃなくて分母も変わる。一瞬ショスタコーヴィチのように聴こえる。指揮者が苦労するところで、音が雪崩れのようでどこでテンポが変わっているのか分かりにくい。チラと指揮者を見ると、譜面に頭を突っ込むようにして、かじりついて指揮をしているところ。
カデンツァはスクリャービンの音楽言語に近いかと思う。

レチタティーボ(第3楽章?)
ピアノによる愛の告白。かなり長い、作曲の意思表示、意見表明の部分。それはやがてオケによって容赦無く寸断される。
私が最も感動する部分。ルトスワフスキの個人的な思いのつまった部分で、「善き人」だったルトスワフスキの人柄が見えてくる気がする。時代状況にも思いを馳せる必要がある。現在のヨーロッパはEUという大きな共同体だが、当時はそんな未来は予想できなかったし、ポーランドにとっても厳しく劇的な時代だった。この曲からは自由を求める叫び声が聞こえてくる。
音楽的にはショパンと共通性がある。ショパン→シマノフスキ→ルトスワフスキという流れがあり、感情の扱い方はポーランドの伝統的なものである。
(ショパンの協奏曲の第2楽章の冒頭、オケ部分、ルトスワフスキの3楽章を弾き比べ)
この部分の緊張感が似ている。
カデンツァは、時代の激性を表している。
(ここで音源再生のはずが、音が出ず)静寂もルトスワフスキの音楽の重要な要素だということがお分かりかと…。

第4楽章
アタッカで入ってくる。バロックの形式を少し取り入れているような楽章。テーマの扱い方がパッサカリア(低音にテーマがある)、シャコンヌ(和音で構成されている)を合わせたような感じ。興味深いのは、ピアノがテーマを弾くことが無いこと。常にオケがテーマを弾き、テーマを見極められないほど多彩な色彩を帯びて展開していく。テーマは凝縮されたり引き伸ばされたりしつつ、高揚が高まり、緊張感が増していき、ピアノとオケの壮大な意見表明で終了。


ここで本編が終了し、モデレーターの岡部真一郎氏より質問。

岡部:「偶然性」に関して、ルトスワフスキとジョン・ケージとの本質的な違いはどこにあると思うか。
KZ:ケージは演奏できないような作品を作っているが、ルトスワフスキはバッハ、ベートーヴェン、ブラームスに連なり、音楽史の中に位置づけられる作曲家である。ただ、私はケージを過小評価するつもりはなくて、ケージは音楽が音のみで成り立っているのではないということ、感情を時間の中に置いて組織するということ、すなわち時間の概念を教えてくれた作曲家である。現代は音が自立した時代であり、録音に関しては細部の細部まで見透かすような技術を手にしており、本来聴くべきではないものも聴けてしまう。あまりにも正確さを追求するあまり、時間の流れや、その中でどのように感情が流れているかということを見失っている。ケージは、音楽は音だけで成り立っているのではないということを見出した最初の作曲家である。「4分33秒'」という作品を東京でもアンコールで演奏したが、これを聴いている間、聴衆の頭の中では一体どれだけの音楽が生まれていることか―。

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というわけでメモ終了。

生真面目の中に情熱とユーモアも垣間見える、とても楽しい語り口だったんですが、その辺の再現は録音でもしないと無理なんで、勘弁したってください。

JAにルトスワフスキについてツィメルマンが語る講演会 その②もアップされてますので、雰囲気みたいなものを知るはこちらの方が良いかと思われます。

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