クリスチャン・ツィメルマン ピアノ・リサイタル 2009年日本公演 in サントリーホール
クリスチャン・ツィメルマン ピアノ・リサイタル
2009年6月10日(水)19:00開演 サントリーホール
J.S.バッハ:パルティータ 第2番 ハ短調 BWV826
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 作品111
休憩
バツェヴィチ:ピアノ・ソナタ 第2番
シマノフスキ:ポーランド民謡の主題による変奏曲 作品10
※プログラムB
芳醇のバッハ。
疾走するベートーヴェン。
バツェヴィチはこれが大トリ?というノリで。
シマノフスキでは、何かが盛大にハジけ飛んでました。
バッハは、弾き振りのショパンを思い出してしまいました。
薫り高い、オトナのバッハ。
円熟とか熟成とかそういう言葉が似合います。
音がどーのとあまりいうとご本人に怒られましょうけれど、スタインウェイの音の旨み成分凝縮!という感じ。
なんかあそこまでの美音を浴びてしまうと、もう思考能力停止です。
身動きできずに聴き入ってしまいました。
あ、なんか、トリルが増殖してたような気がします。
ベートーヴェンは、全体的にテンポが速かったです。
ドス黒さよりも、焦燥感、切迫感ってところでしょうか。
でもやっぱり音がキラキラしすぎて、ちょっと目(耳)が眩んでしまったような。。。
2楽章はかなり現実味が強くて、なんかますます人間の世界の出来事を見ているかのようでした。
ベートーヴェンの後、ちょっと咳をしていましたね(大丈夫かな……)。
バツェヴィチは、この日のピークはここにあったな、という出色の出来。
やっぱり十八番ですね。
シマノフスキは強烈な壊れっぷりで、テンポもかなりギリギリめ。
感情が手を凌駕しているような感じで、かなりスリリングでした。
いやー、なんか回をおうごとに段々ものすごくなってるような。。。
弾きき終わった時のツィメルマンさんも、あきらかに別世界に行ってしまっていたような、心ここにあらずな感じで、ちょっと心配になったくらい。
後半にバツェヴィチとシマノフスキ、いわばポーランドプログラムで、ツィメルマンさんにとっても意義深いんでしょうけれど、、、こんな無茶はもうやらんだろうなぁ。
っていうか、やらなくて良いです(聴く方も大変だから)。
土曜日はAプロに変更の福島に行ってきます。
も、全部AプロでOKですから。。。
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コメント
青猫さん
こんばんは~
このBプログラムを最前列で聴くものではないですね・・・
もう・・・・・ 唖然呆然・・・
思考回路が止まる、まさにそのとおりな演奏でした
しっかし、なんなんでしょうね、この御人・・・・
バツェビチの後に怒涛なるシマノフスキ・・・
ぶったまげました・・
無限・壮大を知悉する世界へとぐいぐい引き込ませてくれ、
クシシュトフ・キレシロフスキ監督の”ふたりのベロニカ”の映画の中に
出てくる、ベロニカが持っていたビー球の中のような世界・・
〔意味が分かりませんよね、この例え・・)
残念ながら明日の福島へ行くことができなくなってしまいましたが、
青猫さん、どうぞ存分に味わってきて下さいね~
ポーランドにとっても興味を持ち出した今日この頃です
投稿: クレオ | 2009年6月13日 (土) 00:18
>シマノフスキは強烈な壊れっぷりで、テンポもかなりギリギリめ。
>感情が手を凌駕しているような感じで、かなりスリリングでした。
ホンっトにそんな感じでした、京都公演も。
手のスピードより、感情はずっと先にいってましたよね~。
「追いつけるのか、手!?」と、訳のわからん事を思いながら、
手に汗を握っておりました
なんだか今年は、毎公演がスリリングで・・・・
)。
3曲目のブラームス、すごく必要って思います(私の体力的に
投稿: petit viola | 2009年6月14日 (日) 17:45
こんばんは。福島いかがでしたか?
こんな記事見つけました。
↓
音楽:ツィメルマン ピアノ・リサイタル=評・大木正純
◇まさに作品を超える演奏
クリスティアン・ツィメルマンが1カ月あまりに及ぶソロ・ツアーで日本のファンを魅了している。18日、東京・サントリーホールにおける一夕を聴いた。
ショパン・コンクールの若き覇者もいつの間にか50代、これからがいよいよ熟成の時期だ。いわゆる三大Bの名曲に、もうひとつ同郷(ポーランド)シマノフスキの珍しい作品を添える、いかにもツィメルマンらしい筋の通ったプログラムは、彼のいまをまっすぐにアピールする、熟慮の選択に違いない。
前半のバッハ「パルティータ第2番」とベートーヴェン「ソナタ第32番」では、これらドイツ古典の聖地にそびえ立つ2曲を、ある意味で対比的に扱ったふしがある。すなわち、とりわけアルマンドやサラバンドでほんのりと甘い弱音を多用し、心地よい美しさを柔らかに浮かび上がらせたバッハに対して、ベートーヴェンはあくまでも厳しく、ソナタにおける最後の到達点たる牙城に、真っ向から切り込んだのである。後者では変奏曲の底知れぬ広がりが、ベートーヴェンの真髄を伝えてとりわけ感銘深かった。
ブラームスの「4つのピアノ曲」作品119は、よくあるモノクロ調の、それらしく無骨な“苦悩の子守歌”ではなく、緩急と、豊かな音色のパレットを駆使してロマンチックに歌い上げたのが印象的。ここではツィメルマンのピアノが、より自由な世界に踏み出しつつあることを実感する。
驚いたのは最後のシマノフスキ「ポーランド民謡の主題による変奏曲」だ。意欲溢(あふ)れる若々しいスコアに、すさまじい超絶技巧をちりばめた圧倒的な音楽だが、おそらくありきたりの演奏では、容易に理解しがたい代物ではないだろうか。それがツィメルマンの手にかかると、リサイタルの締めくくりにふさわしい一大傑作と化してしまう。仮に演奏が作品を超えることがあるとするなら、これぞまさにその希有(けう)の一例である。(音楽評論家)
毎日新聞 2009年5月25日 東京夕刊
本当にシマノフスキの演奏は凄かったですね。ツィメルマンさんは凄い。魂を奪ってしまう演奏ですもの。何度でも聴きたくなる麻薬ですね。
投稿: バイエル | 2009年6月14日 (日) 21:07
クレオさん
音の集中砲火を浴びた、という感じで、途中で飽和状態になってしまいました~。。。(クレオさん、近くのお席だったかも?!)
いやはや、本当に規格外ですよねぇ、この方。
もはや、ピアニストという枠でくくって良いのかどうかも、私は確信がもてませんです。
シマノフスキ、普通に弾いたら決してああはならない気がするんですよね。。。ツィメルマンの手にかかると、どうしてあそこまでスケールが大きくなってしまうんだろう、みたいな(笑)。
バツェヴィチにシマノフスキ、ツィメルマンにあそこまでの演奏をさせてしまうということを思うと、やはりポーランドという国の特殊性みたいなことは無視できませんよね。
お国モノだから良い、という単純なことではなく、もっともっと深いものがあるんだろうなぁ、、、と思います。
福島いらっしゃれなくて残念でしたね。
あとは最終公演を待つばかり、でしょうか?
今度こそ無事いらっしゃれますように!
投稿: 青猫 | 2009年6月15日 (月) 13:24
petit violaさん
今回、壊れがち、なんでしょうか?
バツェヴィチはそんなこと無かったですが(いつものツィメルマンさんな感じ)、シマノフスキは相当に……。
荒い、という言い方もできるのかもしれませんが、でもあの曲はツィメルマンさん的にはああいうパッション漲る曲なんでしょうね。
あ、そうだ、シマノフスキのフィナーレのワープ問題(笑)は、楽譜の版のせいではないかと思いましたデス。
お休みどころとしてブラームスが必要に私も一票(でも微妙にお休みどころになりきってない気も……)。
投稿: 青猫 | 2009年6月15日 (月) 21:02
バイエルさん
毎日の記事のご紹介、ありがとうございます♪
すみません、なかなか手が回らなくて……。
皆さんからの情報で、このブログは成り立っております(ペコリ)。
ブラームスは、無骨な「苦悩の子守唄」なのですか、なるほどー。
ツィメルマンさんの演奏は、苦悩はどっかいっちゃってた感じですね。
シマノフスキ、演奏が作品を超えた、というのは同感です。
シマノフスキ本人が、果たしてあそこまでのものを想定していたかどうか。。。
あの葬送行進曲の左手のドゴーン!ドゴーン!は、予想していなかったに違いない、と私は思うのですがー(だって、あの低音、楽譜を見ると装飾音符で、かわいらしくくっついてるだけなんですよー)。
本当、圧巻の演奏ですよね。
これも音源を残さないのは文化的損失だ!ってどなたか本人に訴えてください……。
投稿: 青猫 | 2009年6月15日 (月) 21:12
青猫さん、こんばんは。
会場に合わせて、または、その時のモティベーションで
演奏を変えているらしいとは思っていましたが、
ここまで異なるとは想像していませんでした。
バッハもベートーヴェンもブラームスも
過去の名演といわれる録音のどれにも迎合しない独自の演奏でしたし
シマノフスキは凡人の想像を絶するパフォーマンスで
20歳くらいのときにご本人が言っていた
ピアニスト<音楽家<・・・<人格者という理想を体現しつつあるのでしょう。
孤高のピアニストというキャッチフレーズはあまり好きではありませんが
当たらずとも遠からずなのかもしれません。
それでも、もっと多くの人に彼の演奏の片鱗を体験してもらうには
やはり、録音や録画を出して欲しいですよね。(キッパリ!!)
投稿: pomodoro | 2009年6月15日 (月) 22:16
pomodoroさん
こんばんは。
会場の音響に合わせて演奏を変える、、、というのはご本人もいっているような気がしますが、響きや強弱だけじゃなくて、細かい表現も色々変えているみたいですね。
今回は、前回(2006年)よりも表現の振幅が大きいような気がいたしますが。。。
バッハもベートーヴェンもブラームスも、しっかりばっちりツィメルマン色でした。特にベートーヴェンは、私の耳にはかなり特異な表現に聴こえました。
シマノフスキは、ツィメルマン以外に2人のピアニストの音源を聴きましたが、同じ曲には聴こえません。ツィメルマンの演奏は別物というか、もはや別格というか。
お人柄は決して孤高ではないと思うのですが、色々な意味で、あの立ち位置に並び立てる人はなかなかいないのではないかと思います。献身的、という点ひとつとっても、群を抜いているのではないかと。。。
ご本人はコンサートを大事にしたいのかもしれませんが、ライヴDVDくらいは出してくれても罰は当たらないと思うんですよねぇ。
スタジオ録音は嫌いみたいですし。。。
実は、7月の新譜のバツェヴィチの演奏(スタジオ録音?)が今まで聴いてきたライヴの演奏と比べて、えらい大人しくてガッカリだったらどうしよう……と多少ドキドキしております(複雑なファン心理)。
投稿: 青猫 | 2009年6月17日 (水) 00:55