Piano Recital by Piotr Anderszewski
2012年11月19日(月) Concert Hall, Hong Kong City Hall
Bach English Suite No. 3 in G Minor, BWV808
Schuman Fantasie in C, Op. 17
Bach English Suite No. 6 in D Minor, BWV811
11月上旬にぴおとるさんは日本に来ましたがモツコンを2回弾いたのみでリサイタルは行わず、だったので、やっぱりここはリサイタル(というかシューマン)を聴きたいでしょ!ということで、ちょっくら香港まで行ってきました(予定を立てたのは夏ですが)。
休み明けでメロメロだったらどうしようっていう心配は絶えずあったのですが、演奏というのは人間のやることなわけだし、腰をすえて一人の演奏家と相対する場合、色々な状況、状態の演奏を聴いた方が良いのではないか、という気持ちもあり、ある意味腹をくくって(大げさだなー)行ってきました。
まぁ香港なら英語も通じるだろうし、そんなに難易度も高くないだろうというという判断もあり。
バタバタの仕事の合間を縫って、ということもありましたが、ほとんど国内旅行のような気分で、ほぼ予習ゼロで行ってきてしまいました(こういうテキトーなことをすると危ないのよね……)。
まぁ旅行自体は特に何事もなく(というか満喫しまくって)、無事帰ってきましたが。
コンサートはというと。
まぁ、立派なチラシとプログラムではないですかー。
プログラムノートも充実してて、なかなか良い感じでした。
で、早速演奏についてなんですが。
こちらは無事というか、無事じゃないというか。
あえて辛口です。
今まで聴いたアンデルさんの演奏の中で一番良いものが一つのスタンダードになってしまっているので、我ながらシビアです。
一般的にどうか、という話ではなく、あくまでも本人比ということで。
初めてこれを聴いたらどう思ったかな、と考えた場合に、有体に言って、おそらくはその次も聴きに行くだろうとは思うけれど、恋に落ちるという程ではないよな、というのが偽らざるところといいますか。
この辺、職業演奏家の辛いところだとは思います。
いつもいつもベストの演奏ができるわけではないし、演奏の出来は本人以外の要素にも多分に左右されるにも関わらず、聴衆は無意識的にせよ意識的にせよ、以前聴いたものよりもさらに良いものを求めますから……。
いちいちあーだこーだ言って、本当に申し訳ないなと思います。
でも、ここはやっぱり正直に書いておかないと。
アンデルさんが正直な人ということもあって、私もお茶を濁すことができないというか。
もちろん、あの演奏を聴いて大満足、大感動、という人がいても全然、全くおかしくはないと思います。
でも、それとこれとは別、というか。
というわけで、長いです。
演奏のいわゆる「出来」については予想の範疇内で、心配していたほどにはアレではなかったというか。
実は、(前にも書いた通りですが)日本のモツコンを聴いた段階で、表現面はともかく、メカニックについてはまだ助走中というか、これやっぱり休み明けだよね、という感じだったので、正直、ちょっとバッハ(特にイギリス6番)は厳しいのではなかろうか、、、と思わないではありませんでした。
で、日本から中国の間にメカの精度自体がそんなに上がるわけもなく(兵庫が11/11で北京が11/15だったので、練習する暇はそんなに無いでしょうし)、まぁ日本とあまり変わらず、という印象でした。
といっても、全体がヨロヨロしている感じではなくて、要するにモツコンの時と同じで、いつもよりもミスタッチが目立つということなんですけど。
一つ一つの音自体はしっかりしていて、不安定というほどではなかったです。
まぁいろいろ総合的に考えると、全体としては少し上がってるかな?と(いや変わらんか……)。
というよりも、本人のメカ以前に、そもそもピアノ(楽器)の状態がよろしくなかったのだろうと思います。
何しろ、足の塗装は盛大に禿げているし、大きな傷も見えるし、一体どういう扱いを受けたピアノなんだろうか、と。
一聴して音が籠り気味というか、なんだか蓋の中で鳴っていて広がっていかないなぁ、という印象でしたが、ボディのみならず、おそらく鍵盤(アクション)自体もアレだったのだろうと。
何しろ、ppがしょっちゅう鳴り損ねるのですよね。
今回のモツコンでもppの鳴り損ねはあってアレっと思ったのですが、あの比ではないというか、あんなにぼろぼろスッポ抜けるのは初めてで、鍵盤の反応が大分悪かったのではないかと思われます。
特に低音部に顕著で、おそらく鍵盤が重かったんだろうなー。
これは本当に憶測ですが、鍵盤の反応速度というか、音の立ち上がり自体が遅いものだから(特に低い方)、鍵盤を押し込んだ瞬間に瞬時の判断で修正出来ない→鳴り損ね多発になったのではないかと。
前半はバッハのイギリス組曲3番とシューマンの幻想曲でしたが、特に前半はピアノを扱いあぐねているような感じで、楽器と格闘していたように聞こえてしまいました。
まぁ必ずしも全てが楽器のせいかというとそうとも言い切れず、(日本でのモツコンから判断するに)本人のメカが決して100%ではないという側面もあったのではないかと思いますが。
とはいえ、イギリス3番と幻想曲は、表現面ではとても濃密で、実に丁寧に作り込まれた音楽であったと思います。
3番については30歳頃に録音したライヴ音源を持っていて(「アンデルさんの来シーズン」参照)、相当に根の暗い演奏という印象だったのですが、今回は大分陽性に傾いた解釈で、これはかなりキャラが変わったなーという気がいたしました。
と同時に、(いつもながらではありますが)ピアノからフォルテの音のレインジが広く、表現の起伏もとても大きい、密度の濃いバッハでありました。
細部まで考え抜かれていながらも、音楽の流れが停滞するようなことはなく、また、以前ちょくちょく感じたアグレッシブさや棘のようなものはなりを潜めて、さらに言えばおそらくは若さの一つの発露であった陰鬱さも払拭され、なんだかとても大人になったなーと。
穏やかになったというか、円熟なんでしょうかね、やっぱり。
これはいよいよ永遠の青二才卒業でしょうかね?
って失礼だな、私もいい加減。
幻想曲は、文字通り泉のように何かが迸り出るかのような演奏で、とても劇的かつエモーショナル、コントラストをはっきり打ち出した解釈でした。
なんとまぁロマン主義な、、、と改めて感心してしまいましたよ。
シューマンでロマン主義、といっても、決してウェットに流れ過ぎず、嫋々、綿々、切々といった語り口というよりは、毅然とした雰囲気や意思の強さを感じさせました。
むしろオトコマエな雰囲気が勝っていたようにも思いましたが、同時に軽妙さや飄々とした部分もあったりで、一辺倒にならない多層的な表情が、アンデルさんらしいなぁと。
表現の幅が実に広く、また単なる音の強弱にとどまらない多彩な感情をてんこ盛りなまでに盛り込んでおり、極めて雄弁かつ説得力のある演奏であったと思います。
この人のシューマンの、ストーリーテリングというか、ある感情の軌跡を描き出す際に生まれる有無を言わさぬ説得力というのは、私にとって本当に別格にして唯一無二のものだなぁと改めて思いました。
ただ、兵庫で聴いたアンコールの演奏(幻想曲の3楽章)からすると少々肩すかしというか、もう少し出来上がってても良いのでは、、、と思わせる部分はあったように思います。
おそらくは扱い辛いピアノと、必ずしも万全ではないメカニックの相乗効果で、全体が若干ロウ(raw)というか生煮えな感じに聞こえてしまったのではないかと思いますが、なんとなく手が脳みそに追いついていないような印象が否めませんでした。
なんというか、やりたいことや伝えたいことはすごーく伝わってくるんだけれど、頭で考えていることを手が完璧には実現しきれていないような気がしてしまい、しかも肝心のキメどころでボロっとミスが出たりするものだからちょっともどかしいような気分になってしまったなぁ。
3楽章は、もちろん美しくはあったのですがちょっとさらさらしていて、内省的な表現の深さは兵庫に軍配が上がったように思いました。
イマイチなピアノに足をとられて、少し散漫になったのかな。。。
まぁ、音響もデッドだったと思うし、ピアノもアレだしというベストではない環境下にしては、傷は少なかったのかもしれません(多分、私が気にするほどには酷くないというか、あくまでも本人比の話なので)。
個人的には後半の方が問題だったというか。
サバティカル直前に、「もう無理、お家に帰りたい…」と息も絶え絶えになってしまった、すさまじく壮絶なイギリス組曲6番を聴いてしまっているので、比較するとどうしても点が辛くなってしまうのですが、狭量でごめんなさい、とあらかじめ謝っておきます。
単に解釈を変えただけだよ、ということはあるのかなぁ、どうかなぁ。。。
イギリス組曲6番、私には、Maxではなくて出力を少し落とした演奏に聞こえました。
集中していなかったわけではないし、曲の中にも入っていたと思いますが、何かを諦めて少し流したでしょう、と。
多分、120%の出力で頑張ってもピアノが手の要求に応えてくれないことが前半でよく分かっただろうし、いつもと同じ弾き方をしたら、6番はメカニック的に制御しきれなかったのではないかと(この辺、もう邪推の域ですが)。
なので、結構あっさり目というか、さらさら流れて終わってしまい、どうにも追い込み不足だったという印象。
状況に応じて無理をしないというのはプロとしては正しい判断だったんだろうと思うし、一見(聴)前半の3番よりも傷が少なくて、きちんとした端正なバッハに聴こえたと思うので、初めて聴く分には問題無いだろうとは思います。
ただ、私はといえば、どうしてもあの人を殺せるような6番のインパクトが強すぎて、この日の演奏は、一体何を伝えたいのか皆目分からないというか、今一体何を考えてるの?みたいなところもあったりで、奏者が遠くに感じられてしまってちょっと辛かったなー。
これだったら、前半のちょっと傷有り3番の方がきちんと気持ちが入っていたし、やりたいことが明確に伝わってきて、何よりも血が通っていて良かったなぁと。
そういう目で見てるからかもしれませんが前半も後半も、拍手に応えるアンデルさん、少々心ここにあらずというか(まぁ弾き終わって放心というのは日本でもありますが)、平均的に笑顔が少なかったように思われました。
終演時には笑顔らしい笑顔が見られましたが、日本で見せてくれた顔中どばーっと笑み崩れた笑顔、みたいなのはついぞ見せてくれず仕舞い。
まぁ、逆に日本では、なんであなたそこまで上機嫌?!って思ったものですが。
それでもアンコールは2曲あって、バッハのパルティータ1番とシューマンの森の情景から一曲ずつで、アンデルさんの良いところがきちんと伝わる演奏で良かったです。
えーと、アンデルさんは、スロースターターというと言葉が悪いかもしれませんが、時間をかけて練り上げて、積み上げていく人であろうことが改めて分かったといいましょうか。
器用にぱっと曲を完成させてしまうタイプではないというのはご本人の談でもありますが、おそらくは、時とともに、莫大な何かを積み上げていく、のだと思います。
おそらくは、練習や研究だじけではなく、コンサート活動が組み込まれた日常、その経過する時間そのものがそのまま演奏の上に蓄積して影響を与えていくのでしょう。
あ、あと、つくづく正直というか、色々なことが音にしっかりのっかってしまう人だよな、とも(まぁ、顔にも出るかもですが)。
完璧に(本人は完璧なんてありえない、というでしょうが)出来上がったものを聴くのも良いですが、今この段階、シーズン頭のいわばスタート地点の演奏を聴けたのは、それはそれでとても良かったと思います。
願わくば、同じプログラムを1~2年後にもう1度聴きたいものです。
2013年はまぁ無理としても、2014年の早い時期にサントリーあたりで同じプログラムを聴けたらこんな幸せなことは無いと思います(Kajimotoさん、どうかよろしく!)。
以下サイン会報告。
まぁそんなこんなで少々釈然としない気分だったりもしたのですが、終演後はロビーでサイン会があり、香港まで来て顔も見ずに帰るのもどうかと思い、サインをいただいてきました。
アンデルさんはといえば不機嫌ということは全くなく、大変愛想よくお客さんに対応していました、私の方は、これは何を言ったら良いんだ~、と普段とは違う種類のドキドキが。。。
まぁ、実際のところ、ご機嫌はとても良かったと思います。
チャーミング&スウィートかつ、見てくれもいつになく(?)カッコ良い感じでした(一体どしたの?)。
アンデルさん、最近はお疲れがお顔(というか写真)に出るようになってると思いますが、そういう意味ではかなりしゃきっとしてましたねー。
シマノフスキのCDを差し出したら、ジャケットと盤面両方にサインをくれまして。
まぁ、何というか、このヒト、気遣いの人というかむしろ完璧に人たらしだよな、と思うようなところも健在で。
アンデルさんはとてもにこやかでしたが、むしろ私の方が愛想が悪かったんじゃ、、、と思わないではないというか(ああもうゴメンナサイ)、演奏の感想などをきちんとお伝えすれば良かったかなと若干後悔中だったりします(いやでも何と言えば良かったのやら・・・・・)。
ま、それは次にとっておきましょうかね。。。
というわけで、早く次の機会が訪れますように、と願ってやみません。
来年あたりどっかに行っちゃおうかなー(うずうず)。
そんなわけで、11月のアンデルシェフスキ祭りは終了。
さすがに疲れたので、少し休憩中です。
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