ハンブルク・バレエ ニジンスキー 2017年10月15日(日)@バーデン・バーデン
ニジンスキー3日目、17:00開演。
ニジンスキー:アレクサンドル・リアブコ
ロモラ・ニジンスキー:カロリーナ・アグエロ
ディアギレフ:イヴァン・ウルバン
ブロニスラヴァ・ニジンスカ:パトリシア・フリッツァ
スタニスラフ・ニジンスキー:アレイシュ・マルティネス
タマラ・カルサーヴィナ:シルヴィア・アッツォーニ
ニジンスキー(道化、薔薇の精):アレクサンドル・トルシュ
ニジンスキー(金の奴隷、牧神):Marc Jubete
ニジンスキー(ペトルーシュカ):Konstantin Tselikov
レオニード・マシーン:Jacopo Bellussi
ニジンスキー最終日。
ただただ素晴らしかったです。
改めて、このキャストで見られたことに、ダンスの神様に感謝しました。
作品としてはまだ理解し切れてない所は多々ありますが、これから色々知っていくにつれて面白さも感動も深まっていくんだろうな。
名作が名作たり得るのは、そういう耐久性みたいなものだと思うんですよね。
(ニジンスキーの「遊戯」とか「ティル」とか、もう少し勉強しようっと・・・)
サーシャのニジンスキーは登場時からショパンの前奏曲ハ短調まで、他を寄せ付けない異様な空気をまとっていました。
シューマンはシューマンで、踊り自体はとても端正なのに、どこかイッちゃっていて、表情なのかな、むしろ行き過ぎた踊りの端整さがそう思わせるのかな。
踊りの綺麗さは、本当に哀しくなるほどで、完璧で破綻の無い美しさが、「神との結婚」という言葉を想起させます。
イヴァンは、立ってるだけで素敵なディアギレフであることよ(いやもちろん踊っても素敵なんだけど)。
ホント絵になりますなぁ。
で、やっぱりイヴァンのディアギレフには、ニジンスキーへの愛があるわけですよ。
シェエラザードのシーン、バラの精はニジンスキーとディアギレフの蜜月の象徴かなぁと思いました。
なお、トルシュは薔薇の精がやっぱり良かったです。
金の奴隷のMarc Jubeteは中々見栄が良いダンサー。
シェエラザードってゾベイダと金の奴隷と王の三角関係の話なわけで、ロモラと金の奴隷(ニジンスキー)を引き離すディアギレフを見て、そもそもニジンスキーって盛大な三角関係の話だということに思い至った次第。
(その場合は、ゾベイダ=ニジンスキー、王=ディアギレフ、金の奴隷=ロモラ、という構図か?)
三角の面子は、シーンごとに少しずつ変わるけれど。
ニジンスキーのソロ、ディアギレフとのPDDは、共に(芸術的に)何かを作り上げることと、その葛藤を表してるようでした。
途中までは二人三脚だけどやがて道が別れていくのが見える。
ニジンスキーが何かを思いついたような表情をして、ディアギレフは引き止めるんですが、結局2人の関係性は元には戻らない、ということ。
この何かを思いついた部分が牧神の午後の前奏曲の前衛的なアイディアで、牧神の午後の誕生と、2人の関係の変化が重ね合わされているように見えました。
ロモラとニジンスキー、船上の場面。
美しいシーンなんだけど、どこか食い違ってる2人。
このシーンで牧神が介在するのも、これ単に綺麗な恋愛話じゃないよね、と思わます(何しろ、牧神の午後って、牧神がニンフにフラれて最後自慰に耽る話なわけだし)。
有名人と結婚したいロモラとエロスに惹かれたニジンスキーのめくるめく一時というところかな。
ロモラとニジンスキー、ハッと我に返るニジンスキーとか、結婚式で呆然とする(サーシャの方がトルシュよりも、表情の変化の時間が長い)ニジンスキーとか、サーシャは「ズレ」の表現に容赦が無いなぁと思いました。
カロリーナのロモラは、悪意は無いけど牧神にとらわれてニジンスキーの本質を見ていない感じが、彼女の雰囲気に合っていたと思います。
2幕。
ペトリューシュカとロモラの不倫が鏡合わせになっています(ペトリューシュカも、ペトリューシュカと踊り子とムーア人の三角関係の話)。
ペトリューシュカは劇中で密室に閉じ込められるシーンがあるけれど、ニジンスキーの出口の無い孤独、恐怖のメタファー。
そこに発狂した兄スタニスラフの記憶と第一次世界大戦が重なって、この辺の追い詰められた悲痛な表現は、サーシャの真骨頂でしょう。
ニジンスキーが兄スタニスラフと同化して高笑いするシーン、ハルサイで椅子に立ってカウントするシーン、渾身の演技というフレーズすら生易しく感じられるサーシャの全身全霊の表現(そして結構声が通る)。
2幕は一人の人間が壊れていく、あるいは狂気と正気を行き来するのを固唾を飲んで見守る感じでした。
ロモラとニジンスキーのPDDでは、2人の見ている世界がもはや違っていて、ニジンスキーは相当壊れてきていて痛々しかったです。
ラストのスヴレタ・ハウスでは、登場時は壊れきっているけれど、踊る前にこちら側に少し戻ってくる感じ。
サーシャの、この辺の狂気の段階的な演じ分けが、上手すぎて寒気がするレベルでした。
最後ニジンスキーがこちら側に戻ってくる契機は、決してロモラではなく、ディアギレフや子供時代の思い出だというのがキツイなぁ。
ロモラ、なんだかんだ言って精神の壊れた夫を見捨てることなく側にいたのになぁ、と切なくなるシーン。
でも、ニジンスキーは、正気の最後の砦でもあった思い出とも決別して、最後の「戦争」を踊るわけです。
ここはもう、劇場中が息を飲んで最後を見届ける、という雰囲気でした。
サーシャの、凄みのある、というより凄みしかない表情が、今でも目に焼き付いています。
終演時は、踊り終えたサーシャが結構ゼーゼーいってるのが聞こえてきたました。
この日は「戦争」で使う赤い布の翻りが大きくて、視覚的にもとても見応えがあったけど、狂気の縁に立ったニジンスキーと完全に同化したようなサーシャの前では、そういうことも些末なことに思えてしまいました。
感動したとか面白かった、というよりも、本当に凄いものを見たな、というのが一番正直な気持ちです。
というわけで、ニジンスキー3公演@バーデンバーデン、とても充実した遠征旅でした。
今までのバレエ遠征の中でも、群を抜く内容の濃さだったような。
しばらく遠征しなくても大丈夫(多分)。
でも、バーデンバーデンはご飯は美味しいし温泉もあるしで、とても楽しい街だったので、機会があればまた行きたいです。
あとは、今夜のNHKプレミアムシアターのニジンスキーを見るぞ!(何とかレビュー書き終わってよかった・・・)
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